お金とは何だろうか?-信用貨幣という考え方

「お金(貨幣)とは何か?」と面と向かって問われると、普段あまりに慣れ親しんでいる当たり前のものであるだけに、答えに窮してしまう人がおそらく多いものと思われます。お金(貨幣)の機能の説明を以って「お金とは何か?」という問いの答えとする答え方もあるかもしれませんが、これは機能を指摘しただけで、貨幣の本質を説明した答えとは言い難いでしょう。

しかし、半分は正解でもあります。なぜならば、貨幣の本質というものが万人に共通の定義可能な概念とまでは言えず、そうすると、貨幣がどのように流通しているか、使用されているかを見ることによって、間接的に「貨幣とは何か」という問いに対する答えを“示す”しかないようにも思えるからです。

それくらい難しい問いではありますが、伝統的な貨幣観として知られる“商品貨幣”という考えと並んで、“信用貨幣”という考えがあります。銀行システムが整備された今日の世界における貨幣観としては、“商品貨幣”の考えよりも、むしろ“信用貨幣”の考えが適しています。

“信用貨幣”の要諦とは何かを見ていくために、“循環”と“信用創造”にスポットを当てながら確認しておきたいと思います。ここ数年、日本のメディアでも紹介されている「現代貨幣理論(MMT=Modern Monetary Theory)」に対する賛否を論ずる以前のレベルで、信用貨幣論や利子率決定論としての流動性選好論について理解しておくことが必要だからです(ちなみに、MMTを提唱しているステファニー・ケルトン教授は、“ポスト・ケインジアン左派”の系譜に位置づけられる学派にいる経済学者ですから、ケインズの言う“流動性選好論”は、この理論を理解するための前提と言えます)。
 
経済学説史の基本的知識のおさらいになりますが、ケインジアンとマネタリストとの論争の対象になった争点の一つが、「貨幣数量説」への態度です。物価変動は貨幣数量変動に比例するという考え方は、かなり昔から存在しました。

これを明確に定式化したフィッシャーの交換方程式は、貨幣数量と貨幣の流通速度との積が物価と取引量との積に恒等的に等価であることを示すものですが、貨幣数量説はこの恒等的関係に“流通速度の一定”という仮定が付加されます。「新貨幣数量説」を主張するマネタリストの旗手であるミルトン・フリードマンは、“マーシャリアンk”の安定性という前提の上に、貨幣数量が物価水準を決定すると主張しています。
 
フィッシャーによって定式化された交換式は、MV=pXの形をとります。Mは貨幣量、Vは貨幣の流通速度、pは物価水準、Xは実質生産量です。pX=YのYは名目国民総生産にあたり、Xは実質国民総生産で、pはGNPデフレーターに対応します。そうすると、MVは総需要、pXは総供給を意味すると読めます。

ここに因果関係を読み込んだ解釈をしなければ、上記式は単なる恒等式です。貨幣数量説は、この式に特定の因果関係を読み込む解釈と言えるでしょう。すなわち、貨幣量Mの増減が実物的関係とは無関係に、一意に物価水準pの変化を規定すると読むのです。
 
もし、これが正しければ、貨幣は実物的関係を覆うベールに過ぎず、貨幣量の変化は物価水準を変化させるだけで、実物的関係に何の影響も与えないということになります。“貨幣の中立性テーゼ”とは、この貨幣と実物との二分法を言うわけです。
 
貨幣数量説の問題点は、以下のように整理できように思われます。一つは、方程式の諸変数間の因果関係の問題です。これは、貨幣量の外生的付与の可能性に対する疑問でもあります。仮に、一時的な貨幣量を規定しえても、貨幣による購買量の変化は企業の生産決定や投資決定に影響を与え、実質生産量Xを変化させる点が重要です。

商品を購買するためには、それに先立って貨幣の保有が必要だということから帰結します。このため、実質生産量Xは貨幣量Mから独立ではないので、貨幣量の変化が長期利子率や投資需要に影響を与え、それが実質生産量に影響を与えます。そうすると、貨幣と実物との間の相互作用があるとの結論に至ります。

また、流通速度Vは、利子率やストックとしての貨幣に関わる金融市場の制度的編成の変化によっても影響を受けて変化しえます。そうすると、貨幣量の変化は、財・サービスの取引に使用される貨幣と金融資産の取引に使用される貨幣との比率を変化させることになってしまいます。とりわけ、今日の金融取引における超高速度取引は、貨幣の流通速度を高めています。以上のような理由から、貨幣と実物の二分法である“貨幣の中立性テーゼ”に対する批判がなされます。
 
貨幣数量説を批判するケインズは、貨幣需要を流動性選好関数に乗せて説明するわけですが、その前に、この“貨幣”という概念は、従前の“商品貨幣”論に立脚した概念ではなく、それとは異質な“信用貨幣”論に立脚する概念であることを押さえておかなければなりません。世間一般の貨幣イメージが“商品貨幣”を前提とする貨幣概念だから、なおさら重要になります。
 
“信用貨幣”論でいう“信用”とは一種の債権債務関係であり、“信用貨幣”とは銀行債務が貨幣化したものです。信用創造は銀行から企業への貸付が行われることによって発生するものであって、その信用が結果として貯蓄をもたらし、その逆ではありません。一般の人々が素朴にイメージするような描像、すなわち貯蓄が預金され、その預金を元に借手に貸付けられるというわけではないのです。
 
信用供与の基礎となるのは、企業の投資計画が生み出す収益性に関する“期待”であって、それが信用の返済可能性の基礎を与えます。貨幣の創造と消滅のプロセスとしての貨幣循環においては、経済主体による貨幣の支出は、必ず他の経済主体の貨幣的な所得となっています。つまり、「支出こそが所得を生み出す」というわけです!
 
現代資本主義において、貨幣とは、銀行システムによって創造される“信用貨幣”です。先述の通り、貨幣供給に関する因果関係の出発点は、企業が投資計画を決定する時の「期待」でした。企業の投資計画に基づいて民間銀行に対する資金需要が発生し、民間銀行から企業への貸付が行われる。これが貨幣フローの発生の起点です。それによって生じる貨幣の循環を経て、銀行のもとに預金が形成され、更なる準備金の必要を発生させます。中央銀行は、未決済通貨残高に対応した貨幣を供給します。これが大雑把に整理された内生的貨幣供給論の要諦です。
 
アルフェレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行賞(通称「ノーベル経済学賞」)の候補者としても名高い世界的経済学者である故森嶋通夫LSE名誉教授が遺した一般読書人向け新書『思想としての近代経済学』(岩波新書)が、レオン・ワルラスの業績を然るべく評価しつつも、ワルラスの理論体系に欠けている重要な要素として、この銀行システムに対する視点の欠如を指摘していることは注目に値します。この点で、森嶋はシュンペーターの主著『経済発展の理論』を評価するのです。
 

『経済発展の理論』での主題は“イノベーション”ですが、そこでは企業者の役割を強調するとともに、ワルラスが無視した銀行家の機能を明確にした上で、経済の動態と発展の理論を構築したことが功績です。要するに、森嶋のシュンペーター評価の最大のポイントは、今日でいうところの「銀行システム」の重要性の強調という点です。
 
貨幣供給は、経済システムの内部の期待形成・需要条件・生産条件・価格形成などの諸条件によって決定されます。重要なポイントは、銀行から企業に貸付が行われた時点で、既に貨幣は創出されていると考えるのが、カルドアなど優れたポスト・ケインジアンによって主張されている内容です。中央銀行が貨幣供給をコントロールできるので、この点においても、貨幣供給はあくまで外生的であると考えるマネタリストと対立します。
 
内生的貨幣供給論の特徴は、銀行が企業に対して貸付を行う際に、貸付量が利子率とは独立であると解する点です。企業は、投資計画に基づいて銀行に借入の要求を行います。これに対して、銀行による信用の供与は、所与の利子率のもとで、企業により個々の借入要求に対する可否として決定されます。すなわち貨幣供給は信用によって誘発され、需要によって決定されるというわけです(もっとも、貨幣需要に関しては、利子率の水準が投資決定に影響を与えることがあり得るので、貨幣需要が利子率によって影響を受けないとは言い切れないだろうが)。
 
利子率の決定においては、①中央銀行の割引利子率、②短期貸付利子率、③長期利子率を区別する必要があります。ケインズの利子率決定論である流動性選好論における“流動性”とは資産の転売可能性であり、この可能性の最も大きなものが“貨幣”です。資産の保有形態としては金融資産を債券として保有するか貨幣として保有するかが問題となりますが、流動性選好は不確実性が存在する場合に、現金や現金転換性の高い流動資産へと金融資産を転換しようとする選好です。
 
したがって流動性選好論では、貨幣に利子が発生するのは資産を流動性が最も高い貨幣の形態で持たないで貨幣を手放すことに対する“報酬”と説明されることになります。貨幣は購買力を行使できるが、債券はそれを保持している限り貨幣に変えることができないし、転売して貨幣に転換しようとしても不確実性が残ります。ケインズは、金融資産の中で転売可能性が最も高い貨幣を「現在と将来とを結ぶ連鎖」と表現しています。不確実性が存在する中で、人々は将来の時点で支払いの必要が発生に備えて貨幣を保持しようとするというわけです。
 
金融資産の転売行為は不可逆的時間において行われるものだから、そこには不確実性が付きまといます。こうした不確実性を伴う過程では、貨幣を含む金融資産が将来においてどの程度のキャッシュフローを生むのかが問われ、それゆえこの可能性に対する期待が各経済主体に形成されていきます。

制度派経済学は、貨幣と貨幣代替的金融資産との間に流動性の大きさに応じて階層的構造が存在するが、それは金融資産市場という場の構造と状態の中での反復的転売行為を通じて形成される経済主体の共有期待に基づいて生み出されるものだから、各経済主体が金融資産の転売可能性に付与する確信の度合いは、金融資産の転売行為が行われる場の性質と状態またはその他制度的諸要因によって規定されると考えます。
 
特に、現代の株式会社制度の下で株式市場の組織化が進むと、組織や制度がこうした期待形成に大きな影響を与えるので、株式市場における取引のルールや企業業績の情報伝達経路などの制度的編成が株式価格の期待形成に際して重要な役割を果たします。要するに、そこでは、株式取引を行っている経済主体間で株価の長期的な傾向に対して共通に保有される期待が形成され、それが各経済主体の行動に影響を与えるということです。
 
短期利子率と長期利子率の関係は、もし現在のベース・レートすなわち中央銀行から借入れによって資金調達している民間銀行の貸付利子率の基礎となる利子率や、短期貸付利子率が一時的なもので長期的には別の水準に落ち着くという期待を、不確実性下の金融市場で金融資産を取引する企業や家計が持った場合、短期利子率と長期利子率との間に乖離が発生します。ここで重要なことは、ベース・レートに関する中央銀行の政策的慣習は、長期利子率から独立しているという点です。

もっとも、これは理論的な想定であって、実際は必ずしもそうではありません。中央銀行が金融資産の意見を市場の意見として聞くことは往々にしてあるからです。ともあれ、これは市場メカニズムの作用ではありません。
 
重要なことは、利子率は貨幣的現象であって、その決定因を単一の要因に帰することには無理があるということでする。複数の利子率が存在して、フローとしての貨幣とストックとしての貨幣が金融システムを規定する様々な制度的要因や期待がそれぞれの利子率の水準を規定するという側面を見なければ、不十分ということになるでしょう。

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