不動産は、防御的な資産クラスとして広く認識されています。
しかしながら、それがCOVID-19などの“ブラック・スワン”的事象(本ブログで何度か登場する、『ブラック・スワン-不確実性とリスクの本質』などの著者ナシーム・ニコラス・タレブ自身は、COVID-19のパンデミックを決して“ブラック・スワン”的な事象とは考えず、十分予測可能な事態であったとしています)に際して、耐性を持つ“反脆弱性anti-fragility”と呼ばれる属性を持つことについては、あまりよく知られていません。
ここで言う”反脆弱的”な投資とは、ショックの規模に応じてパフォーマンスが向上する投資のことです。
不動産という資産の属性の一つとも言うべきこの“反脆弱性”に注目する論文が数編も米国で発表され、その分野に携わる人々の注目を集めています。
例えば、プリンシパル・リアル・エステート投資のマネージング・ディレクターであるガイ・チャウと、サンディエゴ大学ビジネススクールのバーナム・ムーア不動産センター不動産ファイナンス講座を担当するノーマン・ミラー教授によって書かれた“Antifragility of Real Estate in a World of Fat-Tailed Risk”(「ファット・テール・リスクに晒された世界における不動産の反脆弱性」)というタイトルの論文です。
“ブラック・スワン”という言葉は、2008年のリーマン・ショック以降、よく耳にする言葉となりましたが、それは、この危機について警鐘を鳴らし、先ほど触れた世界的なベストセラーとなった『ブラック・スワン-不確実性とリスクの本質(上・下)』(ダイヤモンド社)の著者ナシーム・ニコラス・タレブによって広められました。
タレブは、レバノンでは少数派の宗派であるギリシャ正教徒の家系に生まれました。父は病理学者で、祖父と曽祖父はレバノンの副首相を務めていたほど比較的裕福な家庭に育ち、多感な十代の頃には、文学や哲学の古典を読み漁る生活を送っていたと言います。
ところが、1975年からのレバノン内戦の渦中で死線を彷徨いながらレバノン脱出に成功。修羅場を乗り越えて渡仏し、パリ大学を卒業。
その後、渡米して、全米随一のビジネススクールとして名高いペンシルバニア大学ウォートン・スクールにおいてMBAを取得。再度、パリ大学大学院において、確率論と数理ファイナンスに関する論文で博士号を取得しています。
タレブのビジネスキャリアは、クレディ・スイス・ファースト・ボストンの裁定取引デリバティブ・トレーダーから始まりましたが、いくつもの職を渡り歩いた後に、仲間とともエンピリカという、オプション取引を専らとするヘッジファンドを創設。クオンツ兼トレーダーとして働きつつ、主に確率論や数理ファイナンスに関する学術論文を専門誌に執筆する生活を送ってきました。
20世紀末、30代後半でヘッジファンドの第一線を退き、エンピリカ時代の仲間であったマーク・スピッツナーゲルの創設したユニバーサ・インベストメンツの顧問に就任しつつ、ニューヨーク大学教授として研究・教育に従事しています。
一般読者向けの著書『ブラック・スワン-不確実性とリスクの本質(上・下)』(ダイヤモンド社)が世界数十ヶ国で訳され、“ブラック・スワン”という概念が一気に有名になりましたが、著者の一般向け書籍は大部分が邦訳されています。
Fooled by Randomness: The Hidden Role of Chance in Life and in the Markets(『まぐれ-投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』(ダイヤモンド社)として邦訳されています)や、Antifragile: Things That Gain From Disorder(『反脆弱性-不確実な世界を生き延びる唯一の考え方(上・下)』(ダイヤモンド社)として邦訳されています)、Skin in the Game: Hidden Asymmetries in Daily Life(『身銭を切れ-「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』(ダイヤモンド社)として邦訳されています)などが代表的でしょう。
さて、ここで“反脆弱性anti-fragility”の意味を確認しておきます。タレブは“脆い(壊れやすい)fragile”の反対語は何かと問います。大抵の人は、“頑強なrobust”を想起します。タレブは、これに異を唱えます。間違いだとタレブは断言します。“反脆弱性”という新語が必要になる所以です。
“反脆弱性”とは、ショックを利益に変えるものであって、“頑強さ”とは異なります。“頑強さ”」は単にショックに耐え、現状をキープするに過ぎないからです。
“反脆弱性”は、変動性・ランダム性・無秩序・ストレスなどに晒されると、かえってそれを糧に成長します。この性質は、進化・文化の発展・革命・企業の生存・都市の隆盛など時とともに変化し続けたものにも当てはまるというのです。
つまり、タレブは“反脆弱性”という新しい概念を使って、大きな変動やランダム性ないしは不確実性に耐えるのではなく、むしろそれを糧にして利益が上がるしなやかな戦略を主張しているわけです。
ここでは、タレブの数ある著作の内容を解説するのが目的ではないので、必要最小限のことを確認するにとどめ、この“反脆弱性”という観点から捉えた不動産という資産クラスの持つ独特の属性を見ていきましょう。
従来のファイナンス・モデルでは、外因性ショックは発生可能性が低い外れ値事象であると想定されています。これは、外因性ショックの発生確率が一般的に過小評価されていることを示唆しています。
“ブラック・スワン”的事象の一つである2008年の世界金融危機は、今(2022年7月)からわずか14年前に発生しました。
厄介なのは、そのようなショックの影響がア・プリオリに“未知”でもあるということです。そこでタレブは、“未知であることの未知”そのものをモデル化しようとするよりも、“反脆弱性”を組み込んだポートフォリオを構築することがより重要であると一貫して主張してきました。
タレブが提起した“反脆弱性(anti-fragility)”という概念に影響されて執筆された先の不動産に関する論文によると(タレブ自身は、不動産についてはほとんど触れていませんので、あくまで論文執筆者がタレブの概念を基礎にして、不動産投資を分析したということになります)、基本的な4つのパターンがあります。
1つ目は、“頑強な(robust)”な結果です。これは、外れ値事象の発生確率が小さく、正または負の結果が小さい場合です。結果は、ショックによって実質的に影響を受けないため、投資パフォーマンスはかなり予測可能です。
2つ目は、“脆弱な(fragile)”な結果です。細かく分けると、更に対称と非対称の2つのタイプに分かれ、どちらも下振れシナリオの記述です。テールが太いので、両方とも重大な悪影響を引き起こします。投資パフォーマンスをグラフに表現するとして、仮に左に非対称のテールがあるということは、投資がポジティブなアップサイドよりもネガティブな結果に対して脆弱であることを意味します。
3つ目は、“反脆弱な(anti-fragile)な”結果です。右に非対称になっています。上向きのファット・テールは、外れ値が正の傾向にあり、大きな正のペイオフがあることを意味します。要するに、堅調な投資はボラティリティに捉われないのに対し、脆弱な結果となる投資がボラティリティのために上手く行かなくなる傾向があるわけです。
“反脆弱な”投資は、ボラティリティの恩恵を受ける投資です。数学的には、これは投資の凸性などと呼ばれます。但し、タレブのモデルの下での凸性は、債券投資に使用される凸性とは異なります。債券の場合、コンベクシティは、金利水準の変化に関連する債券価格の変化を測定して出されます。タレブのモデルの下での事象のボラティリティが高いほど、凸性によるリターンが大きくなります。逆に、ボラティリティが高いほど、凹面の損失が大きくなるとも言えます。
タレブは、現実の世界を表す2つの環境、“mediocristan(月並みな国)”と“extremistan(果ての国)”があると説明しています。“Mediocristan”は、結果がかなり予測可能で安定しており、単一の外れ値の結果が全体に大きな影響を与えない場合です。
ガウス分布または正規化された確率分布(正規分布)と呼ばれる確率分布で表現される世界は、“Mediocristan”に適しています。正規分布クラスターは、結果が平均から標準偏差2σ離れている確率が5%未満であり、標準偏差3σの事象が発生する確率が僅か0.3%である場合に、平均を中心に対称的に結果をクラスター化させます。言い換えれば、パラメータ化とモデル化が合理的に容易な“穏やかなランダム性”が存在します。
しかしながら、“ブラック・スワン”は、ガウス分布のような裾が薄い分布には適していません。ここでは、1つの外れ値の観測により、全体が大幅に歪む可能性があるからです。ランダム性は穏やかではなく、結果に与える影響は深刻です。正規化された釣鐘型の確率分布ではなく、ファット・テールな曲線になり、結果の分布は歪んでいるか尖度が高くなっています。これは“極値”と呼ばれます。
タレブが説明するように、平均分散モデリングに基づくポートフォリオ構築は、私たちの環境は実は極値であるかもしれいのに、ガウス分布の仮定のためにリスクに満ち溢れてしまうことになるわけです。
後知恵から、ファイナンスの関係者は、ポートフォリオが繰り返しの大失敗から免除されるという“望ましさ”を引き出したいために、最新の外因性のショックとそれに続くストレス・テストを説明するために計量モデルを色々調整したりしています。
しかしながら、“未知であることの未知”という問題は、計量モデルの範囲を超えています。“ブラック・スワン”のモデル化には、必然的にリスクのファット・テールの仮定が必要であり、定量化することは不可能ではないにしても極めて困難であるため、投資ポートフォリオのパフォーマンスは影響を受けやすくなります。
つまり、ショックに対して脆弱になるのです。問題は、マルチ・アセット・ポートフォリオに組み込むことができる“反脆弱な”投資があるかどうかです。
例えば、“ブラック・スワン”的な事象では、株式や社債その他特定の有価証券の価値はゼロに近づく傾向があります。その理由は、ショックにより基礎となる事業が実行不可能になる可能性があるためです。例えば、世界金融危機の際のリーマン・ブラザーズやベアースターンズを例にとってみましょう。
これらの企業は、もはや事業を継続することができませんでした。COVID-19では、例えば、特定のクルーズ船のオペレーターが事業を継続するかどうかは不明です。
しかし、不動産には、投資を支える実際の有形資産があります。不動産は長い期間、資産価値の“貯蔵庫”でした。不動産は、従来のファイナンス・モデルではほとんど見過ごされてきたマイナス面への重要ないわばアンカーを提供してくれているわけです。つまり、リターン分布が正の結果に非対称になることが期待できるということです。
長くなりましたので、続きは次回で。