不動産投資ゲーム(前)

比較的大きな書店にはたいてい利殖コーナーが設けられていて、そこには株式・FX(外国為替証拠金取引)・CFD(差金決済取引)・暗号資産(仮想通貨)等の投資(or投機)に関する書籍と並んで、不動産投資に関する書籍も数多く陳列されています。正味の中身とはというと、玉石混交。比較的まともな“玉”を探し出すのは結構骨の折れる作業です。

もちろん、中にはまっとうな書籍もあり、そうした稀な書物の中に、既に日本では絶版になっていますが電子書籍として読むことができるものに、ウィリアム・ポルブーとジェフリー・クルクシャンクによる『ハーバード・ビジネススクールが教える不動産投資ゲーム』(日経BP)があります。

その胡散臭い書題のために一瞬手に取るのを躊躇いましたが、読んでみると、その内容は至ってまともな考えが綴られていました。それもそのはず、ハーバード・ビジネススクールで教鞭をとる著者による第2学年を対象とした科目「不動産投資」のテキストとして使用しているものだそうです。

ビジネススクールのテキストであるとともに、著者自身がハーバード・ビジネススクール教授でありながら不動産ビジネスで活躍している実務家という二つの顔を持つので、本書はガチガチの理論についての著作というより、より実務サイドに寄った内容になっています(もちろん、最低限の理論的水準は維持されています)。

米国のビジネススクールやロースクールで採り入れられているソクラテスメソッドでの授業ですから、このテキストと豊富なケースを取り入れた演習問題を揃えて読んで行けば得られるもの大となるのでしょうが、一冊にまとめるとなると電話帳ほどの分厚さになるから商業出版に乗せられるものにはならない。だから、そこまで要求するのは酷かもしれません。

このテキストを使用しているハーバード・ビジネススクールの教室では(ハーバードに限らず、有名なビジネススクールでは一般的な光景ですが)、実際の企業経営者が直面した経営判断場面を題材にそれを簡略なストーリーにまとめたケーススタディが提示され、80人前後の学生が丁々発止ディスカッションを行い、教授が議事進行役を務める形で学生の話から要点を抽出して問題の核心部分に収斂されるよう導いて行きます。

授業の最後にはケースに登場した経営者がゲスト出演して、当該ケースで扱われている経営判断の顛末を明かしてくれます。というように、学生のディスカッションでの提案に対する現場サイドからのコメントも踏まえ、不動産ビジネス・不動産投資上の経営判断・投資判断の妥当性が検討されて行くという高密度な授業内容です。

ここを巣立った学生の多くが不動産投資ファンドや不動産デベロッパーに就職し、グローバルな不動産投資グループを牽引しています。日本の不動産投資顧問会社の中にもハーバード・ビジネススクールにおいて「不動産投資」の科目を履修した人が何人かおり、不動産デベロッパーや不動産投資顧問会社で中心的な役割を担っているようです。

いずれにせよ、訳者は社団法人不動産証券化協会不動産ファイナンス研究会で、監訳者は日本における不動産金融工学の第一人者である川口有一郎教授ですから、訳の分からない与太言を飛ばす“なんちゃって投資本”とは一線を画していることだけは確かであって、安心して手に取って読むことができるかと思われます。

ポルブーらが先ず指摘することですが、不動産投資で成功する王道は、大きな資金を元手にして始めることです。それを言ってしまうと元も子もないですが、最初からそんな恵まれたポジションにいる投資家は少ない。ある程度の資産ないしは収入があることを前提とするのは確かですが、しかし潤沢な資産・収入を持つ者でなくとも、やりようによっては“不動産投資ゲーム”を上手く捌いて資産を徐々に積み増していくことは可能です。

本テキストでも触れられている印象的なポルブーの言葉の中に、「私の経験では、単に金持ちになろうとして不動産投資に手を出す人はたいてい失敗する」というものがあります。彼ら彼女らは、絶えず物件にとって適切な意思決定を続けなければ不都合なことが起こるという事実を見失ってしまうからです。短期的な視野だけで判断してしまうことによって長期的には災難をもたらす蓋然性の大きい選択肢を選択して困難な事態に嵌るパターンです。

更に、こうも指摘しています。「不動産業界の起業家は、事業機会に盲目的にのめり込む傾向がある。結果としてマクロ的な視野を失い、大きな流れに逆行するするような不利な状況に身を置いてしまうことも少なくない。大きな景気の動きが業界の追風になっているのか、あるいは逆風になっているのかで、その数は増えたり減ったりする」と。

不動産投資は、参加する価値のあるゲームかもしれないし、そうでないかもしれません。しかし、“成功”したと言える状況になるのに時間を要するという一点において、不動産投資に関する個々のゲームは共通しています。

ゲームであるからには、ある程度巧みなプレイができなければゲームをクリアできません。不動産市況好調時は、余程無謀なことをしない限りは、成功したとまでは言えないにしても、大失敗したという事態に嵌る人は比較的少なくて済みます。しかし問題は、不動産サイクルが下降局面に転じた時です。プレイヤーが巧みでなければ、十中八九吹き飛んでしまいます。

「リスクをとることを楽しみたいという人にとって、不動産投資ゲームは最良のゲームではない」とポルブーらは言います。優れた不動産投資家は、自らのことを“積極的にリスクをとる者(risk takers)”としてではなく、“リスクを管理する者(risk managers)”だと位置づけます。

それゆえ不動産投資家は、投資プロジェクトに潜む多くのリスクをタイプごとに割り出し、測定・管理することが求められます。リスクを特定し、そのリスクを管理する戦略を策定し、それら戦略がリスクを管理しながら十分なリターンをもたらしうるものかどうかを評価する視軸が重要になる所以です。

とはいえ不動産投資は、例えばデリバティブ取引などと違って、そこまで高度な投資技術やリスクマネジメントを必要としていません。事実、不動産投資に用いられる簡易計算は極めて単純なもの。但し、収支計算自体は簡単であっても、それが正しい前提条件に基づいたものでなければ正しい結果にはなりません。

収支見積書はもちろん重要ですが、それだけで判断することは、たとえ優良な投資案件のように見えても、正しい前提条件に基づいていなければ意味がない。それどこか、時には害悪になってしまいます。どのくらいの期間保有して、どのタイミングで出口を見つけて着地できれば成功とみなすのか、収支見積書の計算過程でどの程度の金利やインフレ率の変動を想定していたかなどを考えずに勢いに任せて投資判断するわけにはいきません。

どの事業でも同じですが、予測は自由に立てることができます。たいていの人は、自らの予測が正しいものであるかのように数字を操作しようとするもの。そして、現在の仮定が正しいとすれば、将来の仮定も正しいものと思い込みがちです。投資では、この思い込みが致命的なものとなります。

米国では元来、不動産投資はハイリスクなビジネスと認識されていました。それゆえ、用地取得・許認可取得後、事前にテナントと竣工後の入居予約を受けた上で、長期ノンリコースローン融資を保険会社などの機関投資家から確約を取り付け、それを元に建設資金の融資を金融機関から得るというリスクを睨んだ慎重なプロセスを踏むものでした。

1980年代のいわゆるレーガノミクスの頃に慎重さ欠いた単に勢いに任せた投機的な開発に走っていく不動産業者が多数現れる連れ、リスクが蓄積されて行き、遂に1990年代初頭の未曾有の不動産不況をもたらしてしまいました。到来時には、それら不動産会社が軒並み吹き飛び、しばらく景気回復の足かせとなってしまいました。

数年遅れて日本でも、“バブル崩壊”という憂き目を見ることになります。注目すべきは、足下に迫っている危機に最も鈍感だったのは当の不動産業界だったという事実です。笑うに笑えないとは、正にこのこと。

ポルブーらは、この“不動産投資ゲーム”を理解するために、2つの異なるレンズを使って観察することを提案しています。第一のレンズは、①物件(properties)、②資本市場(capital markets)、③プレイヤー(player)、④外部環境(external environment)という4つの要素から成り立っています。

ゲームは時間とともに変化するだけでなく、プロジェクトの性質・資金の源泉・関与する主体の構造によっても変化します。変わらないのは、不動産投資ゲームでは意思決定に際してこれら4つの要素を考慮する必要があるという点です。

第二のレンズがプレイ(事業実施)の段階です。ポルブーはプレイの段階を(1)構想から基本合意まで(concept to commitment)、(2)基本合意からクロージングまで(commitment to closing)、(3)開発(development)、(4)運営管理(operation)、(5)収穫(harvest)の

5つの時期に分けて分析しています(もちろん、この5つの時期はどの不動産投資プロジェクトにおいてあるわけではありません。既存物件では(3)はありませんし、マンションの分譲では(4)はありません)。

ポルブーは物件、資本市場、プレイヤー、外部環境の要因が各事業実施段階にどのくらい影響を与えるのかを見ていきます。次回は、この点について具体的にポルブーらがどのように議論を展開しているのか検討していきます。

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