投資リスクの数理的コントロール

不動産投資理論に関する最近の研究は、金融工学ないし数理ファイナンス理論などの知見を取り込んだ精緻化が進み、投資の実践シーンでも普及・応用が進んでいます。ファンドやJ-REITの拡大は、不動産と金融技術の融合を飛躍的に高め、1970年代に変動相場制に移行された後、金利や金融商品の高いボラテリティに対するリスクヘッジとしてオプション取引が重宝され、その結果としてファイナンス理論が、不動産投資の分野にも応用されるようになりました。

“モダン・ポートフォリオ理論”と呼ばれる、ファイナンスに関係する者ならば、その賛否はともかく、誰もが知っている理論があります。1952年、シカゴ大学の大学院生だったハリー・マーコヴィッツの博士論文「ポートフォリオ・セレクション:分散投資理論」で提唱された“平均・分散アプローチ”、“ポートフォリオの最適化理論”としてスタートしました。

このマーコヴィッツの業績を受けて、ウイリアム・シャープが考案した“資本資産価格理論(CAPM理論)”が、さらにはステファン・ロスの“裁定価格理論(APT)”が提起され、1990年代に体系化されました。マーコヴィッツはこの業績が認められ、1990年にアルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行賞(通称、「ノーベル経済学賞」)を受賞しました。

モダン・ポートフォリオ理論によると、もし投資家が十分に合理的な判断を下せるのならば、リターン最大化・リスク最小化の投資の組み合わせの解が得られることになります。リスクやポートフォリオの概念自体は、「卵を1つの籠に盛るな」といった投資格言として知られていましたが、これはあくまで理論的裏付け無き経験的な“知恵”のレベルに留まっていました。マーコヴィッツの業績は、分散投資の効果を数学的に証明し、リスクとリターンの関係を定量化して計算可能なものにしたことです。この理論を不動産投資に応用するならば、物件の期待収益率とリスクと投資不動産間の収益変動の連動性から見た共分散などの統計量を使って、ポートフォリオ効果を最大化する最適解を求めることができます。

“リスク”という用語は、不動産投資の世界でも頻繁に使われていますが、リスク=“危険性がある”という意味ではなく、期待収益と現実に起きた結果の振幅や分散具合のことを指し、これを定量的に表現すると、“標準偏差”や“分散”になります。例えば、A不動産とB不動産があるとして、両者の営業純利益(NOI)利回りの5年平均が仮に5%だとしましょう。A不動産がB不動産と比較して変動の分散具合が大きいと、分散と標準偏差も大きくなります。同じNOI利回り平均でも、A不動産の方がB不動産より分散も標準偏差も大きい分、“リスクがある”不動産ということになります。単純に利回りだけを見ていては、その不動産の抱える“リスク”は見えません。

リターンを平均値、リスクを標準偏差として投資分析する手法が、いわゆる“平均・分散アプローチ”です。モダン・ポートフォリオ理論が前提としているリスク回避的投資家の視点から、リターンが同じならリスク(標準偏差)が低い方がよいという結論に導かれて、B不動産が選択されるという理屈になります。最適なポートフォリオを実現する組み合わせは、目標とする期待リターンを最小のリスク(標準偏差)で達成する組み合わせです。

不動産相互間での最適組み合わせを考えると、ポートフォリオという視点によって、投資家の“勘の領域”から“数理的にコントロールする領域”になってきたのは、日本では90年代後半以降からです。

海外の証券市場では、数理ファイナンス理論ないし金融工学の席巻によって、”勘と情報“だけを頼りにするトレーダーは”Gut trader(はらわた相場師)“として駆逐されていきました。デリバティブ取引、中でもオプション取引でのプライシング・モデルとしてブラック=ショールズ=マートンのモデル(いわゆる”ブラック=ショールズ・モデル“)が登場して、急激な数理化が起こり、数理モデルを自在に操るクオンツがウォール街で持てはやされて以後、特にそうした現象が見られるようになりました。

不動産市場、特に日本の不動産市場が、デリバティブ市場・株式市場・債券市場のようなものとはかけ離れていることから、”数理的コントロールの領域“が席巻してしまうという現象は今のところ見られませんが、徐々に広がっていくであろうと思われます。

不動産は、証券市場や債券市場のように、情報が瞬時に価格に織り込まれるような効率的でかつ公開された市場がなく、ローカルに分断され、情報の非対称性の中で相対取引されてきました。このような非効率的な不動産市場の特性から、不動産投資においてもポートフォリオによる分散投資を前提とするより、むしろ単体の取引を中心として価格付けされてきたというのが実態です。そして個別投資を前提とした評価では、当該不動産の個別リスク(株式でいう銘柄固有リスクに該当します)が”リスクプレミアム“として割引率に移転されてきました。

対して、収益不動産を複数所有するファンド・リートは、不動産を単体で投資する個別投資に比べ、リターンとリスクがある程度まで最適化されているので、ポートフォリオ効果が働き、不動産の個別リスクが低下しています。ファンド・リートの購入時の価格は、当該不動産の将来キャッシュフローを割引率で現在価値に置き換えたものだから、割引率のリスクプレミアムが低下する分、購入価格が上昇します。

もっとも現段階で、不動産ポートフォリオの分散効果については課題や疑問がいくつか指摘されています。モダン・ポートフォリオ理論を基準として不動産投資を行うには、期待リターン(平均)とリスク(標準偏差)のデータに加え、ポートフォリオを組むための収益投資不動産間の収益率の変動データで相関係数を測定しなければなりません。このとき必要となる基礎情報が、投資インデックスとなります。

ただ、不動産投資インデックスは、株価インデックスが市場での実際取引価格に基づいて算定されるのに対し、客観的市場取引データとは言えない側面があり、ある種の人為的加工が施されたものとも言えます。というのも、これは不動産市場の特殊性であって、市場取引価格がないに等しく、正確なボラティリティが把握しづらいためです。

それゆえ、株式市場や債券市場のように情報が効率化された市場では、同じものが単位株レベルで数万、数十万存在する一方で、不動産は個別性が強く、同一の価値を持つ不動産は他に1つとして存在しないため、証券投資と同列でポートフォリオによる分散効果を論じることは難しいのかもしれません。

とはいえ、20年前から日本でも始まったJ-REITは、有価証券化され流動性も高い。おまけに、情報も一定程度公開されている側面を強調するならば、必ずしも絶対に無理ということはないでしょう。ので、有効フロンティアのような組み合わせを実現する可能性は高く、今後、J-REITに牽引されて不動産投資全般でこの方面の研究や実践が進んでいくと期待されています。ファンド・リートが個別の不動産に固有のリスクをある程度コントロールすることは不可能ではないと思われます。

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