未来の期待リターンの「前借り」と「棚ぼた的利益」

金融市場では、ファンダメンタルズに基づく合理的な成長が、唐突に非合理的な「バブル」に転化することが時折見られます。1989年末、日本の株式市場の株式時価総額は米国株式の時価総額を上回り、皇居の地価が米カリフォルニア州の全地価を上回ると推定されるなど、日本市場は株式と不動産の「双子のバブル」状態でした。このようなバリュエーションは、もちろん持続不可能です。

「バブル」が崩壊してから後は、日本経済の「没落」を世界に印象づけるものとなってしまいました。1990年代の経済成長鈍化の流れの中で、日本は世界で初めて「少子高齢化」という人口統計学的課題を抱えた先進国となり、貯蓄過剰とディスインフレによって短期金利と長期債利回りがゼロ金利環境となってしまいました。時価総額加重型、トータルリターン型指数はバブル期に近い水準になってきたとはいえ、日経平均株価は30年以上経た現在も、ピークの約3万9000円に達していません。

日本の富裕層はリスク資産を米国株と米国不動産に振り分けるなどして、失速した日本のリスク資産よりも遥かによいパフォーマンスの恩恵にくみする人もいましたが、しかし、長期にわたって日本の投資家が外国資産をヘッジなしで保有すると、その為替リスクに悩まされることになりました。

バブル崩壊以来、日本株式が低迷し、ゼロ金利となる中、債券は低利回りにもかかわらず正のトータルリターンを安定して提供したため、多くの日本の金融機関が好んで投資しました。日本は、1970年代に石油危機でインフレ率が高騰した後は、ディスインフレのみならずデフレを経験した国となりました。日本政府及び日本銀行は様々な財政・金融刺激策を講じましたが、1~2%のインフレを起こすことさえ極めて困難でした。全体として、日本は「高齢化」・「過剰貯蓄」・「低金利」・「長期停滞」と闘うための政策の「実験場」と化したというわけです。

債券利回りは1980年代と1990年代に急落しましたが、「双子のバブル」に対処する日銀の引締政策によって反発した後は、ゼロ金利政策によってまずキャッシュ金利が、続いて債券利回りがゼロになり、それに加えて量的緩和が実施されたことは何度も耳にされているはず。日銀による大規模な資産購入は債券から始まりましたが、株式にも拡大されました(この点は、世界の国々が日本の例に倣わなかった稀な例外と言える)。

株式市場の利回りは異なるパターンを示しています。配当利回りは1970年代から1980年代にかけて低下しましたが、これは株式市場のバリュエーションがますます高くなったことを反映しています。株式市場の利回りは1989年に底を打ったものの、長期にわたって低水準で推移していた後は、2008年に日本国債10年物の利回りを上回り、その後も上回ったままです。配当利回りには潜在的な配当成長率(及び自社株買いや買収など他の株主還元)が含まれないこと、国債利回りがインフレ期待を反映しているのに対し配当利回りと国債利回りのスプレッドがマイナスであることは、政府日銀の努力を反映していますが、同時に、日本の配当成長率やインフレに対する市場の低い期待値も反映していました。

悲観的な投資家は日本株が「安いのには理由がある」と考え、楽観的な投資家は「日本株が長期的にお買い得である」と考えます。国内利回りの低さを理由に、日本の投資家の多くが海外投資への関心を高めたのは理解できます。

先述の通り、米国のリスク資産はここ数十年で遥かに良いパフォーマンスを示してきましたが、過去10年までは円高ドル安によってその利益が相殺されていました。外国資産の為替リスクのヘッジを検討しても、金利差が日本の投資家にとって重いヘッジコストを意味することを思い知らされることになります。

日本における主要な投資家の1つである確定給付(DB)型企業年金の状況は、米国のDB企業年金の資産配分と比較すると、一貫して株式比率が日本は米国より低いですが、近年の株式比率の低下・オルタナティブ資産への配分増といった傾向は共通していることがわかります。日本の企業年金の予定比率の平均は2%強と米国と比較して低く、より保守的な資産配分のおかげで2008年の世界金融危機での傷は浅く、その後の「アベノミクス」の期間を経て積立水準も良好でした。しかし楽観は禁物であって、今後は、「低期待リターン」という難題に真正面から直面することになるのです。

海外まで目を向けると、市場の高いバリュエーション、欧米でのインフレの急上昇、遅れてはいるが積極的な中央銀行の政策引締め対応などが重なり、2022年は各種資産のオーナーにとって厳しい年となりました。債券の実質利回りは上昇し、そのマイナス水準が他の多くの資産クラスの高いバリュエーションを正当化していたため、株式市場も広範囲にわたって下落します(但し、低流動性資産にはスムージング機能があり、プライベート市場への波及は今のところ緩和されています)。

そう言う私に対して、米国在住の友人などからは、急速な痛み(資産価格の下落)がある程度実現したため、ゆっくりとした痛み(低期待リターンの持続)の懸念は過ぎ去ったのではないかと問われます。残念ながら、その答えは「No」だというのが私の意見です。少なくとも、欧米市場に関して言うならば、資産の利回りは、過去平均を下回って史上最低水準に近く、それは特にプライベート資産のおいて顕著です。更に、インフレ問題は深刻であり、中央銀行の金融引締めは金融市場が予想するよりも長く続く可能性があります(とはいえ、例えば過剰貯蓄などのファンダメンタルズ的な要因によって、債券利回りの上昇は抑制される可能性はあります)。

というのも、いくつかの懸念材料が存在するためです。かいつまんで言うと、①資産価格が高騰し利回りが低下することにより将来のリターンが前借されており、ここ数十年の「棚ぼた」的な利益の借りを返さなければならない時期が近付いていると考えられること。②債券だけでなく、多くの資産クラスは過去に比べて割高であると思われること。③低い期待リターンを受け入れられる投資家はあまり存在せず、難しい選択は先送りにされ、利回りの追求が報われた時代は終焉を迎えつつあると考えられること。

こうした困難を迎えつつ現在、投資家は、「規律正しさ」、「謙虚さ」、「忍耐強さ」などの良い投資行動は、厳しい環境では何より重要となるので、自分がコントロール可能な事柄に集中しなければならないでしょう。

歴史的に低い債券利回りと高い資産価値によって、期待リターンが低くなっていることは良く知られています。一方、多くの投資家は、資産価格が更に上昇したことで高い実現リターンを享受したことを忘れてしまいがちです。本来ならば、投資家がこの矛盾を認識し、支出計画と投資計画を見直すべきなのでしょうが、実際はそうなっていません。

残念ながら、将来の支出計画を見直すという形で低い期待リターンを受け入れる力を示した投資家は少ない。その一方で、多くの投資家が、市場が期待通りのリターンを与えてくれなかった現在、よりリスクの高い投資に手を出そうとしているのも事実。期待リターンの低下という宿命を背負った我々は、「変えられないものと変えるべきものを区別する賢さ」を身につけたいものです。

「リスクをとる」そして「問題を先送りにする」やり方は、過去10年間には極めて上手く行きました。それは主に、中央銀行による金融緩和のおかげです。世界金融危機以降のこの時期は、低成長・低インフレ・低金利という、実現リターン以外のあらゆるすべてが低い時期だったと言えましょう。これは、未来からのリターンの「前借り」だとも言えます。通常の借入れではなく、歴史的に低い利回りと歴史的に高い資産価格によってもたらされた「棚ぼた」的な利益と言い換えることもできるでしょう。これによって金融危機後の実現リターンは上積みされたが、2020年代半ば以降には違った局面に転じる可能性を想定に入れて投資行動すべきかもしれません。

しかし中には、期待収益率も投資計画も支出計画も見直すことなき願望的思考は、「過去のリターンがよかったのだから将来は違うと予想する必要がどこにあるだろうか?」といった具合に考える人もいます。しかし、世界金融危機以降の良好な市場リターンを外挿して将来予測をするのは誤った方法でしょう。データからの示唆はゆっくりと得られるもの。10年という期間は、長期期待リターンについての示唆を得るためには短すぎます。

当然、投資家はリスクをとらないと正のリターンを得ることができません。但し、リスクテイクは効率的に賢く行うことが特に重要であり、また遅かれ早かれ失望するリスクが高い状況では、特に注意深くリスクテイクを行う必要があると言えます。

思慮深く投資を行う、すなわち投資目標を定めそれを実現する最良の道を模索すること。投資家は、市場が僅かしか与えてくれない中で、最大限の利得を手にする必要があります。「結果バイアス」とは、ある意思決定の良し悪しを、その結果の良し悪しと同一とみなす傾向のことです。長きにわたる低パフォーマンスを静穏に受け入れられる投資家は少ないですが、同時に、過去の実績に過剰反応することは長期的な成功に繋がらないという点の認識も必要です。

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