不動産デリバティブへの期待と今後の課題(後)

(承前)
不動産をリスク資産として見るならば、当該リスクをヘッジする手法の一つとして不動産デリバティブに対するニーズが高まるだろうと考えられてきました。英米などでは既に十分ながら導入されている不動産デリバティブですが、日本では検討こそされ、遅々として進捗していません。

不動産デリバティブが日本においても成立するためには、制度的諸条件が整備されることが必須であることに加え、不動産デリバティブの存在が国民経済的に見て有意味であるとの認知が広まることが条件となってきます。

先述の通り、既に英米等では不動産デリバティブが導入されていますが、とはいえ、その歩みは順風満帆であったわけではありません。失敗も多々見られた試行錯誤の中で徐々に整備されてきたというのが実際です。

しかし、この試行錯誤の連続が見られたのは、何も不動産デリバティブだけではありません。今ではメジャーな取引で、1日につき約1,000兆円近くの取引高を有するデリバティブの主を構成する為替デリバティブやコモディティ・デリバティブなどを見ても、決して順調な船出ではありませんでした。

為替デリバティブはニクソン・ショック以後の1972年に登場しましたが、当初は取引が低調でした。しかし、輸出入業者のヘッジ手段としてのニーズに応えるものとしての認知が拡がり、今日では、為替デリバティブが活発に取引され、国際的な取引における産業インフラとして不可欠な取引として機能しています。コモディティ・デリバティブにしても、例えば石油製品などの実需取引における価格指標としても活用されているという意味において、これもまた産業インフラの機能を有しています。

不動産デリバティブが初めて上場されたのは、英国ロンドン商品取引所(London Futures and Options Exchange)です。しかし、1991年5月9日の上場後約5ヶ月して取引を廃止しました。その主な理由は、上場された不動産デリバティブに対して十分な取引量がなかったからです。では、なぜ十分な取引量がなかったかというと、いくつかの理由がありました。それが、参加者の認知不足や流動性欠如及びインデクスの未整備でした。

不動産市場関係者にとっては、デリバティブという複雑な取引への認知と理解が広まらず、デリバティブ取引参加へのインセンティブが働きませんでした。また、金融市場関係者にとっても、デリバティブの原資産となる不動産について理解が行き届いていませんでした。それゆえ、投資家に不動産デリバティブを周知させることなく、見切り発車に不動産デリバティブ市場を開いてしまいました。これが第一の理由です。

次に、当時の英国経済は不況の真っ只中であり、新しいデリバティブに投資するような市場環境ではなく、投資しようと思ってもカウンターパートが存在しませんでしたので、流動性確保のための仕組みが未整備のままに留まっていました。これが第二の理由です。

上場されたのは4つのデリバティブでしたが、その1つは原資産としてNAHPというインデクスを採用していました。しかし、NAHPはインデクスとしての信頼性にそもそも疑問が呈されていて、そのため実際の不動産価格とインデクスが同じ動きをしているのかどうか、投資家には信用されなかったと言われています。これが第三の理由です。

不動産デリバティブ市場の発展のためには、リスクヘッジする主体となる「ヘッジャー」、そのリスクを引き受ける「スペキュレーター(投機家)」や「アービトラージャー(裁定者)」の存在が必要であり、その3者がバランスを保った流動性のある市場を創設する必要があります。「ヘッジャー」はリスクを避けるためにプレミアムを支払い、「スペキュレーター」は価格のファンダメンタルを分析しリスクを取って資産を運用するために取引を行う。そして、「アービトラージャー」は複数の市場間で生じる価格差を利用して取引を行います。

現在の法制度下では、金融商品取引法等の対象となるデリバティブについては、有価証券もしくはみなし有価証券として定義されている不動産関連商品(REIT、資産流動化法に基づく優先出資証券、匿名組合出資等)についての市場外でのデリバティブ取引(相対取引)を除き、不動産デリバティブが金融商品取引法の対象に含まれるのかどうか(上場デリバティブ取引については、REIT指数等の有価証券関連のデリバティブ取引は金融商品取引法の対象となり、取引所が規定を設ければ内閣総理大臣への届出によって取引することが可能となります)。

いずれにせよ、不動産デリバティブ取引が金融商品取引法の対象となる場合、デリバティブ取引を業として行うならば、相対デリバティブ取引については第1種金融商品取引業が、上場デリバティブ取引については第2種金融商品取引業の登録が必要となるでしょう。

現在、日本においては不動産にかかわるインデクスが開発されていますが、不動産デリバティブの原資産を想定して開発されたインデクスは今のところありません。不動産デリバティブに限らず、一般にデリバティブを組成するためには原資産が必要です。株式デリバティブならば、その原資産となる株式の価格すなわち価格が公開されていないと組成はできません。恣意性がなく、検証可能性があり、頻繁な確認の可能性の要件を満たした情報が必須となるところですが、不動産デリバティブの場合、原資産となるのは不動産にかかわるリスクを示す定量化された数値です。つまり、不動産の価格変動リスクをヘッジするためのデリバティブであれば、不動産価格のインデクスが不可欠となるはずです(原資産なくして、デリバティブは存在しえません)。

前回にも触れた通り、不動産インデクスは、価格・賃料・空室率等を実物不動産の実際のデータ(賃料については、募集賃料もしくは成約賃料)により算出するインデクスです。また、不動産投資インデクスは、不動産に投資した場合の収益率を指標化したインデクスでもあります。

ベンチマーク・インデクスは、個々の物件やファンドごとの不動産投資成績を評価することを可能とする指標であり、一般的に同一地域や同種の物件のトレンドを示すものであるインデクスの算出方法としては、TOPIX と同じく加重平均により算出するもの加重平均法・不動産の個別性を説明変数とした上でその便益を評価するヘドニック・アプローチ・過去2回以上売買された不動産の購買価格データを回帰分析することにより不動産インデクスを算出するリピート・セールス・モデルなどがあります。

いずにれにおいても、インデクスとして求められる要素は、検証可能性が確保されていること、恣意性が混在しないことです。これに更新頻度を付け加えてもいいかもしれません。

市場環境面としては、流動性の低い市場では保有するポジションを清算することや新たにポジションを保有することが難しい。例えば、不動産デリバティブに投資しようと思っても、カウンター・パーティーが存在しないとポジションを清算することができず、適切なリスク管理が行えない可能性があります。したがって、流動性確保は至上命題となるわけです。これは、不動産デリバティブのみならず、あらゆるデリバティブ取引の必須の成立要件であることは繰り返すまでもないことでしょう。

整理しましょう。デリバティブの意義とは、基本的には、リスクのアンバンドリングによるリスク配分の再構成にあります。デリバティブを活用することにより、偏在しているリスクを分解し、そのリスクに対する評価が異なる経済主体間でシェアすることが可能になります。このため、デリバティブはリスク配分の構成を変える手段として有用です。

また、原資産(デリバティブズに対する派生元の資産)を変動させるより遥かに低コストによる取引機会が提供されるため、金融市場の流動性の向上に資するという利点もあります。加えて、裁定やヘッジ取引の広範化によって、分断されていたマーケット間の価格形成連関の緊密性が増し、市場メカニズムを反映した価格付けが可能となります。

もっとも、弊害もないわけではありません。デリバティブは市場流動性を高め、リスク負担能力のより高いと思われる主体にリスクを再配分する機能を有するので、ショック時における市場の回復力を強化する効果を持つと期待されていますが、副作用として、市況急変時において、市場の価格変動を更に増幅してしまう方向に働く危険性も有している点は注意すべきでしょう。

例えば、こういう事態が想定されます。オプション取引に詳しい方ならば、以下のような事態が想像されるからです。オプション価格の変動リスクをヘッジするために原資産で反対ポジションを保有した後にオプション価格変動に伴う追加的原資産売買を行う操作をダイナミック・デルタ・ヘッジと言いますが、このダイナミック・デルタ・ヘッジでは、リスクがプレミアム分に限定されているオプション購入者に比べて多大なリスクを負う売り手の方が積極的にヘッジを行う傾向があるため、原資産の価格変動を増幅させる方向に機能してしまう可能性があるということです。更には、価格がある方向に急激に変化している中で多数の市場参加者によって同時に行われる場合には、大きな価格変動をもたらす可能性があるということです。

もっとも、デリバティブが原因となって現物価格が変動しているという明確な証拠があるとは言い切れないとする学説もあり、このことに関しては、現物価格の分散を先物価格の分散で回帰し、そのパラメータの有意性を検証したり、現物価格と先物価格の時間的先行関係を検証するといった実証分析が行われてきています。

このように、不動産デリバティブは、不動産市場にとって肯定的な側面と否定的な側面の両面を持ち合わせていると言えます。しかし、不動産がリスク資産の一つとして認識されている以上、その有用なヘッジ手法として真剣に導入が検討されてしかるべきではないでしょうか。

弊社ブログで何度も強調している通り、不動産の金融化傾向は、私法の変遷過程とも軌を一にした必然的歩みです。また、その傾向は、これまで不透明であるがゆえに情報の非対称性が著しかった日本の不動産取引の現状に何らかの浄化作用をもたらす間接的効果も期待できるのです。

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