2種類のインフレ

世界的なインフレ懸念を受けて、各国の株式市場が足踏みしているような状態です。通常は、物価が上がると、その分株価も上昇する傾向にありますが、インフレによる業績への悪影響に対する懸念から、成長期待の高かった銘柄にはかえって下落圧力が加わります。このインフレは短期収束するか、それとも長期継続するのか否か。仮に、スタグフレーション(不景気下でのインフレ)のようなことにでもなれば、株式市場は長期低迷への向かうことになるかもしれません。

米国経済は、賃金が物価上昇に合わせて上がっていたので、当初はインフレの悪影響に対する懸念はあまり大きな声になっていませんでしたが、2022年に入って、賃金と物価の乖離が激しくなるにつれ、市場はインフレ警戒の主張が大きくなっていきます。大幅に金利が引き上げられた場合、景気にマイナスに作用することに加え、市場に出回ったマネーが縮小するので、株式市場にとっては逆風となります。

ほとんどの国が中長期的に見て経済成長している中、日本だけが30年間、経済成長せずデフレに苦しみ続けてきました。この間、GDPであっという間に中国に追い抜かれて“世界第2の経済大国”ではなくなり、2020年代後半には、辛うじて維持していたGDP世界3位の地位からも転落することでしょう。既に、国民一人あたりGDPでは、もはや“先進国”とは言えない有様。

デフレとは、簡単に言ってしまえば、貨幣と物との関係において、貨幣の価値が相対的に上がることですから(逆に言えば、物の価値が相対的に下がる)、企業は積極的な投資行動を控えるし、個人は消費を控えて貯蓄に回すことが各々の立場からみた合理的判断ということになります。消費が落ち込みますから、企業の売上げも低下し、給料は上がらない。そこで、消費を更に抑えようとするので、重ねて企業の業績も低下するといった悪循環(デフレスパイラル)に陥っていたのが、1990年代後半からの日本経済の特徴でした。

そんな状況にも関わらず消費増税まで断行されたわけですから、消費は冷え込み、需要と供給の不均衡が激しくなります。通常、成長する資本主義経済では、景気循環の波を描きながらも、全体的な傾向として言えば経済成長してきました。急激なインフレに苦しめられるケースが多いですから、経済学ではインフレ対策の研究は盛んになされてきたが、デフレ対策の研究はそれに比べて希薄であり、誰もが決定的な処方箋を出せているとまでは言えないというのが実情でしょう。

アベノミクスとは、日本の長期低迷の原因であるデフレを克服することを第一義に講じられた経済政策で、①大規模な金融緩和、②機動的な財政出動、③成長戦略の「三本の矢」で構成されていました。この方向性自体は決して間違った政策とは思わないですが、残念ながら、①だけが実行されて、②と③については、極めて中途半端なものにとどまって、狙っていた効果が得られたとまでは言えません。

そんなところに、新型コロナウイルスの感染で世界のサプライチェーンが毀損されたり、ロシアとウクライナを巡る安全保障上の不安定の露呈、米国での急激なインフレを抑制するための数度の利上げによる日米金利差の拡大などに起因するドル高円安の急進等、様々な要因が重なり、輸入物価が上昇して生活必需品の高騰に苦しむ人々の声が聞こえ始めています。

景気は悪状況であるにもかかわらず、物価だけが上昇していく、いわば不景気下のインフレともいうべきスタグフレーションのリスクが高まっています。好景気によるインフレは、旺盛な需要によって喚起されるインフレであるので、経済全体のパイが拡大し、賃金も当然に上がるので、それが急激ではない限り、さほど大きな混乱は生じませんが、スタグフレーションではそうはいかない。ただでさえ苦しかった我々の懐は、更に厳しくなります。

インフレには2種類あります。一つは、需要の伸びがあまりに旺盛なために、それを吸収するだけの供給が追い付かない場合に発生する“ディマンドプル・インフレ”です。もう一つは、何らかの理由で供給側のコストが上昇する“コストプッシュ・インフレ”です。供給能力が毀損されて生じるインフレも、これに含まれます。一般的に、“ディマンドプル・インフレ”は好景気の時に起こりやすいが、“コストプッシュ・インフレ”はそうとは限りません。1973年に発生したオイルショックはその典型ですが、原油価格の一方的な上昇を契機にあらゆる製品の価格が上昇し、景気とは無関係に一気にインフレが進んでしまいました。

インフレが進む最大の理由は、諸外国とのGDP格差が拡大したせいで、輸入価格が上昇したことに加え、深刻な人手不足から、建設や外食など現場作業が必要な業界を中心に人件費の高騰が進んでいることも起因しています。コロナ禍による世界的な景気後退から総需要の減少そしてデフレの進行と言うわけにも行かず、総需要の減少よりも供給網の毀損が大きくなるので、人件費や貨物運賃の急騰を招いてしまいます。

FRB(米連邦準備制度理事会)もECB(欧州中央銀行)も、急激なインフレの退治を優先して政策金利の度重なる引き上げをする中、日本銀行は金融緩和を継続しているものだから、金利差が更に拡大して円安が急速に進行している最中です。少なくとも、黒田東彦総裁が任期の間に、金融政策が俄かに変更されることはないでしょうから、暫くはこの動きは継続するものと予想されています。

それはともかく、コロナ禍からの快復過程においても、近い将来、再び似たような感染拡大が発生すると予想する専門家は多く、企業側はグローバルな物流網や生産体制の見直しを進める可能性が高いので、従来のような供給網が早期に回復される保障はなく、最終的には輸入価格の上昇につながってしまう。いやはや、今年の秋あたりに悲鳴が方々で聞こえるようなことがないことを祈りたいです。

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