AIに基づく金融機関のリスク管理について

物理学者ディディエ・ソネット博士は、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)名誉教授であり、スイス金融危機研究所の主要メンバーの1人です。以前、弊社ブログでも紹介した、経済物理学、中でも複雑系の理論を背景とした「ドラゴンキング理論」に基づく経済危機の研究者としても知られており、その「ドラゴンキング理論」に基づいて、株式市場の暴落の時期と規模を予測してきた人ととしても有名です。

この「ドラゴンキング理論」は、ナシーム・ニコラス・タレブ博士の「ブラックスワン理論」と、ある意味反対の外見を持つ理論なのですが、どうやら両者は個人的に親しい間柄だそうです。2008年にETHZの金融危機観測所を設立したソネット博士は、アカデミックポストに就いているだけでなく、医療技術とテクノファイナンス分野のベンチャー企業のパートナーおよびリサーチディレクターとしても活躍しています。

クレディスイスのような銀行は、複雑なモデルを使用してリスクを分析および予測してきました。しかし、これらの予測はしばしば、短期的な収益を増やすことを期待してリスクを冒すことを好む経営陣たちによって無視されてきました。リスク管理の専門家でもあるソネット博士は最近、このクレディスイスの事実上の破綻劇について、フランス語スイス雑誌のインタビューにコメントをしており、それが我々の興味を惹きつけます。

クレディスイスの破綻は、再びグローバル金融のパンドラの箱を開くものであり、それは、損失をコミュニティの損失に転嫁する「ギャンブル文化」として特徴付けられるというのです。

そうはいっても、銀行は、人工知能(AI)ベースのツールを使用してリスクを予測・管理し、収益を生み出していたはず。銀行の履歴と外部ソース(政府機関、規制当局、金融出版物)からの大量のデータを比較することにより、アルゴリズムとスマート・プラットフォームは反復して発生するパターンを特定し、結果とリスクを計算しています。このようにして、詐欺、運用エラー、市場の未知数、または流動性の問題を予測し、意思決定を改善してきました。

銀行はAIモデルを使用してリスクを予測し、投資パフォーマンスを評価しますが、これらのモデルはクレディスイスやシリコンバレー銀行を破産から救うことはできませんでした。なぜ、これらの予測に基づいて行動しなかったのか、なぜ意思決定者はそれまでの介入しなかったのですか。ソネット博士は、「私は過去に多くの成功した予測をしましたが、マネージャーによって体系的に無視されてきました。予測に従って行動することは、…つまり、痛みを伴う対策を講じることです(Agir en fonction des prévisions, c’est «arrêter la danse», c’est-à-dire prendre des mesures douloureuses.)。…問題に対処し、破綻前に解決するために苦しみを課すことは、政治的な自殺行為になってしまう。これがリスク管理の根本的な問題だ」と。ソネット博士は、はっきりとこう言うのです。C’est un suicide politique que d’imposer la souffrance pour aborder un problème et le résoudre avant qu’il n’explose. C’est le problème fondamental du contrôle des risques.

しかし、ソネット博士によると、銀行の問題は知性の欠如ではなく、マネージャーの貪欲さと近視眼であるため、たとえAIベースのリスク予測・管理のシステムを構築しようと、そういう状態である以上は、AIが金融機関を破綻から救うことはできないとしています。

ソネット博士に言わせると、AIと数理モデルは、リスク管理ツールを使用する意思がある場合にのみ役立つという意味で、今回の破綻とは無関係です。すなわち、L’IA et les modèles mathématiques ne sont pas pertinents, dans le sens où les outils de contrôle des risques ne sont utiles que s’il y a une volonté de les utiliser!とまで強調しているのが、このインタビューの見どころの一つでもあります。

何かが上手く行かない時、モデル、リスク管理方法などを非難する傾向があります。それは誤りにであって、問題は、人間がモデルを無視して迂回することから生じます。過去20年間、そのようなケースはたくさんありました。同じ話が何度も繰り返され、誰も教訓から学ぼうとしてこなかった。問題は知性ではなく、貪欲と近視であるため、AIは無関係であるというのが、ソネット博士の結論です。

そもそも、データ収集はAIの責任ではありません。偏りがなく、かつ関連性の高いデータを収集することは、機械学習やAI技術よりも遥かに難しい課題です。ほとんどのデータは偏っており、不完全で一貫性がなく、取得と管理に非常にコストがかかります。これには、巨額の投資と、(ほとんどの場合欠けている)長期的ビジョンが必要となるはずです。

クレディスイスは、何十年にもわたって非常に脆弱なリスク文化の中に浸っていて、脆弱なリスク管理体制しか持っていまませんでした。したがって必然的に、潜在的リスクのポートフォリオを蓄積してきた歴史があります。これは、問題がシステマティックに対処されない場合、予測とリスク管理が機能しないことを意味します。

そうした潜在的リスクを蓄積させてきた銀行のリスク管理体制の脆弱性が暴露される原因となったのが、ソネット博士に言わせると、ゼロ金利ないしはマイナス金利政策及び世界の市場に溢れ出たイージーマネーということになります。ソネット博士曰く、「ゼロ金利政策またはマイナス金利政策が、これらすべての根本原因です。これにより、銀行は金利の上昇局面になった時に過大なリスクにさらされるようになりました。…私たちは、「危機対策」介入の長期的な結果を考慮していない主要国の中央銀行の短期的で無責任な政策によって、非常に不安定な世界に住んでいるということなのです」と。

大きすぎて潰せない(trop grandes pour faire faillite)銀行の破綻が防ぎ、金融危機を再来させないために講じるべきは、金融機関に対する厳格な規制であるとソネット博士は主張します。ある意味で、金融システムをゼロから不安定にする傾向がある獣を飼いならすために(pour apprivoiser les bêtes qui ont tendance à déstabiliser le système financier à partir de la base)、金融機関は「退屈な銀行(banque ennuyeuse)」にならなければならないというわけです。

AIは、過度にインテリジェントなAIの危険性を説明する多くのシナリオの場合のように、人間を引き継いで奴隷にし、それによって指示されたインセンティブでリスク管理に従うことを強制する場合、将来の破産を防ぐことができるかもしれませんが(それがどのような悪夢であるかはまた別の話でしょうが)、しかし、人工知能は銀行経営陣の近視眼から救うことはできないという結論には変わりないようにも思われます。つまり、

L’intelligence artificielle ne sauvera pas les banques de leur myopie!

というわけです。身も蓋もない話ですが。

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